ブログ(名前は考え中)

考えたことを言葉にして発信していきたい!がモチベーションです

悪魔とプリン嬢

パウロ・コエーリョという作家さんの本で、知人に紹介してもらい読んでみました。
パウロ・コエーリョの名言 | 地球の名言
悪魔とプリン嬢、という本です。これがとっても面白かったので、ぜひ読んでもらいたい!と思って紹介します。

ストーリーの導入

物語の舞台は、観光業で栄えている村。観光地としては色々なお客さんに気に入られているけれど、その村の住人はどんどん若者が減っている。若者はみんな村を出てしまって、一人の女性を除いて、おじさんやおばさんになってしまったところです。
そんな村の閑散期に、一人の男性が宿泊します。とても気前のいい紳士の顔の裏で、とんでもない計画を実行しようとしている。そんな彼は唯一の若い女性、シャンタールを森に連れ出し、大きな金塊を見せます。実は彼女は身寄りがなく貧乏な暮らしをしていました。そんな彼女でも都会に出て遊んで暮らせるだけの価値がある金塊です。そして、「僕はこれをあと10個もっていて、それを森のどこかに隠した。僕はこれを使ってゲームがしたい。」と告げるのです。
「僕は、この金塊10個は村のみんなにあげてもいいと思っている。この1週間のうちに村から死人が出れば、という条件付きで。君にはこの話を村のみんなに伝えてほしい。伝えてくれたら目の前の金塊は君にあげよう。」

という突拍子もない始まり方をします。それから、シャンタールをはじめ町長さんや神父さんといった様々な役者が現れ、心情や思惑が描かれながら物語は進んでいきます。
テーマは「人間の不完全さ」であって、特に「ついつい心に巣食う悪」にフォーカスがあてられています。少しだけ引用してみます。

他人に対する期待

返礼を期待して愛するものは、時間を無駄にしているだけなのだから

これは登場人物のおばあさんが旦那さんへの感情を整理しているときに、出てきた言葉です。まさにそうだな〜と思っています。というのは、返礼を期待して愛することをディスっているわけでは決してないのです。個人的には、期待の話と愛の話と、2つの示唆があるのかなあと思いました。
人間はどうしても、他人に過剰な期待をしてしまいがちだと思っています。私もその一人で、「いやこれくらいすぐやってよ」とか、「普通こうするでしょ」とか、ついそういう風に物事を捉えてしまいがちなんですね。すごく気をつけているつもりではいるのですが・・。でも他人って自分でコントロールできないじゃないですか。もちろん、接し方次第でいくつかのことを促すことはできますが、本質的には不可能だと思います。ですので、人に期待を持ちすぎると、誰よりも自分を苦しめてしまうと思うんですよね。これは愛する人に対しても当然、そう言えると思います。「こんなに尽くしているのに!」「こんなに愛してるのに!」という風にものを見てしまうと、やっぱり苦しい。そうではなくって、「あ〜今日はこんなことをしてあげた、そんな自分に満足!」「こんなに人を大事にできて私は幸せ!」と考えるべきだ、と。そういう示唆が込められているのかなあと思います。

良い人と悪い人

善と悪が彼らをめぐって戦っていた。地球上のすべての人間の魂をめぐって戦っているのと同じように。
全ては抑えるかどうかにかかっていた。そして、何を選ぶかに。問題はそれだけだった。

これも素晴らしい名言だと思いました。みんな色々な場面で、正しいことと正しくないことの間で迷ってるんですよね。正しいことをしたほうが長期的に見ていいのは頭ではわかってるつもりなんだけど、目の前の欲に目が眩んでしまう、というようなことって往々にしてあるのだと思います。(もちろん、何が正しいと思うか、は人それぞれです)善人と言われる人は、そういう欲がないようにも見えますが、そうではないんですよね。彼らは抑えているだけなんだ、と。彼らは良い選択をしているだけなんですね。自分を抑えて良い選択をし続けている。つまり、善人は才能ではない、ということです。善人は欲がないから善人なのではなく、そういう行動を自分で選択しているから善人なんです。そして、それはあなたにもできることでしょ、という主張なのだと思います。

さいごに

この本では、「我々の小さな村で起こっていることは全世界で起こっていることとだいたい等しい」というような旨の言葉が時々でてきます。私達は結局、人の集団=社会の中に生きています。人間が集まってやることなんて、大なり小なり見た目は変わるけど、通じるものや本質はだいたい同じだよね、と言っているんですね。
他にも色々と考えさせてくれる素晴らしい本でした!ぜひ、読んでみてください!

OUTLOOKの使い方

本当につかえてますか?

実は世の中にノウハウが全然ない。

サントリーの森新さんという方の講演を受けました。彼はメール術のプロとして様々な企業さんで講師をされています。
森新のショートカットキー+Outlook研究家のセミナー | ストアカ

社内の働き方改革を推進する中で、みんなずっとアウトルックやってるのにアウトルック使うの下手すぎない?ということに気がついたようです。それで自分で研究をしてみると、実はOUTLOOKはショートカットも豊富だし、よく設計されたソフトウェアだ!ということを学びます。同じような課題を持っている人は実は世の中にたくさんあるんじゃないか、ということで、社内の問題を解決した先で講師業を始めるに至った、とのことです。

あなたの会社にもたぶん課題がある

アンケートを取ると、人は平均で35%もの時間、メールをしているらしいです。年間に相当するとこれは500時間分のボリュームになるんだ!とのこと。恐ろしいですね・・。つまり、これを20%効率化できたら平均で1日30分増える計算です。1日30分てすごくないですか?これからお伝えする方法を実践すれば、20%の時間短縮になります。(森さんの過去実績ベース)前置きはこのあたりにして、早速中身に入っていきましょう

OUTLOOKの使い方

OUTLOOKにおける無駄は、おおまかに下記3つだということです。画面遷移、マウスへの過剰依存、過度なメール整理の3つです。これを解決するソリューションは2つのシンプルなやり方です。1つはショートカットキーを10個覚えること。2つめはメールを整理しないことです。

OUTLOOKで脱マウス!

10個のショートカットについて覚える前に、windowsではEscapeキーを活用できることが大きなアドバンテージになる!ということをインプットしておきたいです。Escapeキーは、「親アプリは落とさずに小画面を閉じる魔法のキー」!。ガンガン押しても困らないすごいキーなので、まずはこれを使いこなすことが大前提です。脱マウスを実現するために覚えるべきキー一覧は下記です。
①返信はctrl+R
②全員返信はctrl+shift+R
③転送はctrl+F
④本文、宛先、CCにカーソルを動かすときは「tab」と「shift+tab」
⑤検索はctrl+E(準備として、適切な詳細検索の項目を用意しておく)
 #検索から戻るときもescape
⑥ブランクのメール ctrl+N
 #もちろんメールを削除・下書き保存するときもescape
⑦次のメールを見るときは、ctrl+>(前のメールはctrl+<)
⑧送信するときはctrl+enter
⑨書式を統一したいとき(別の場所から文をコピーしたときなど)は、範囲選択してctrl+space
 #この技はワードでもパワポでも一緒!!
  標準書式はファイルタブ→オプションで決められる。部署単位でオプションを統一するとなおよし
⑩個目・・忘れてしまいました・・・ご容赦ください

最速の整理術は整理をしないこと

これはアウトルックの使い方、というよりはメールとの向き合い方ですね。メール整理に関する彼の結論は、メールを整理することはできない、です。彼の結論というよりも、世の中のある層の結論、という方が厳密かもしれません。整理という作業に付きまとう”こうもり問題”という問題は世の中一般で語られていることです。
ファイルの分類をやめたときに人は成長出来る | RickyNews

今回推奨された方法は、”受信トレイは郵便受け”として活用し、整理はせずに”検索”を使いこなす方法でした。具体的には、メールは整理せずに、受信箱はすべてアクションが必要なメールだけにしておく、そうでないメールはすべてアーカイブに入れる、という方法です。手続きとしては下記のような感じ。
①朝一、一番上のメールを見る。ENTER
②リアクションが必要な場合は何もせず次のメールにうつる。ctrl+>
③リアクションが必要じゃない場合はメールをアーカイブに入れる。ctrl+shift+9からのctrl+>
準備は、/アーカイブという新しいフォルダを作っておいて、アーカイブへ移動、という操作をクイック操作でctrl+shift+9に登録しておくだけ!

ちょっと高度なスキル編

①最速でタブを移動させる方法
ctrl+(数字)を押すだけ!
②最速で添付ファイル付きのメールが作る方法
添付したいファイルをコピーしといて、OUTLOOKを開きながらctrl+Vを開くだけ!
③最速で宛先に送りたい相手のアドレスを出す方法
”宛先”タブで”田中”と打ってctrl+Kを押すだけ!(もちろん田中さんに送りたい場合)

まとめ

アウトルックを使ったメールの時間は、20%削減できる!その方法は
①ショートカットキーを10個覚える!
②メールを整理しない
これだけ!ぜひやってみてください。うまくいったら教えてもらえると嬉しいです。

学問は人を幸せにすることができるか

最近、「幸福学」という学問に出会いました。慶応大学教授の前野さんという方がやっておられる学問です。
名前のとおり「人間の幸福のメカニズムを明らかにする」ことを一つの目的としており、さらにその上で「どうすれば人は幸せになれるのか、その具体的な方法を指し示す」ことを通じて、実際に幸福な人を増やす!というところを最終的な目標にされています。きっかけは、明日、機械は人になる、という本で紹介されていたことです。
https://www.amazon.co.jp/明日、機械がヒトになる-ルポ最新科学-講談社現代新書-海猫沢-めろん/dp/4062883686
その本はその本で面白かったのでぜひご一読いただきたいですが、今回は幸福学の内容にフォーカスして書き始めたいと思います。

幸福の定義

急に小難しいな!と思われる方もいらっしゃるかと思います・・が、あえてここから考え始めたいです。「幸せな人」と聞いて、みなさんはどんな人を思い浮かべるでしょうか?
「常に笑顔な人」とか、「いつも楽しそうな人」とか、「この世のすべてを手に入れたダルビッシュ有みたいな人」とか、いろいろな想像をされるかもしれません。
この思い浮かべる印象に正解はないのですが(幸せのカタチは人それぞれ)、学術的には便宜上、幸せな状態を2つくらいに分けることが多いです。
ひとつは、長期的で意味のある幸せ。じんわり感じるような幸せ、という感覚でしょうか。日本人のイメージするところの幸せな人生、というとこの意味合いで用いられることが多そうです。古代ギリシャでは、ユーダイモニア、といいます。
もうひとつは、短期的で快楽的な幸せ。これは例えば試験に合格した、とか、試合に買った、とか、洋服を買った、とかいったときの、嬉しい!楽しい!という気持ちに相当します。古代ギリシャでは、ヘロニア、といいます。

幸せの因子は4つ

かく

幸せの効用

内容メモ
生産性の向上などが明らかになっている。特にイノベーティブな発想や想像力が求められる職場では。
注意点は、「幸せ」特にヘロニアに相当する幸せを追求してしまうと、逆に不幸になるケースもある。

宗教について

ご無沙汰しています。
日本人のための宗教原論、を読みましたので復習がてら共有したいなと思い記事を書きました。

なぜ私は宗教の勉強をしているのか

理由は役立つはずだから!と面白いから!です。
まず、宗教を信じる人の気持ちを理解する上で必要だからです。これは色々な方が言っているとおりです。日本人にとって神様というと、「お正月にお参りして運勢占ってくれるのとお願い聞いてくれるかもしれない」くらいの感覚で付き合っているものですが、信仰している宗教によっては全然感覚が違う人も世の中にはたくさんいます。僕は言葉の壁はテクノロジーがだいたい解決してくれると思っていますが、文化の壁はそうもいかないですよね。
次に、宗教心って日本人の僕にとってはめちゃくちゃ理解できないです。同じ意見の方も多いと思います。なんで神様の存在の無条件に信じているのか、全然わからないんです。(否定しているわけじゃないですよ)だけど世の中の半分くらいの人は宗教を信仰しているわけですよね。こういう信仰心って、どんな風に成立しているんだろう?ということにすごく興味があります。そしてきっと、宗教は人間を理解するための一助になるんじゃないかなと感じています。
どうですか?続きが気になりませんか?

倫理観

倫理観ってなんでしょうか。
「人は殺してはいけない」とか「差別はいけない」とか、様々あると思います。僕たちの感覚でいうと、倫理観って人それぞれだよね、ということになっていると思います。色々考え方はあるよね、と。もちろんこれが間違っているわけではないのですが、そうと言い切れない部分もあります。つまり、「宗教によっては倫理は宗教が決める」ことがあります

例えば過去、キリスト教は色々なジェノサイド(殺戮)をやってきました。でも一方で、キリスト教圏の人たちは寄付をよくしたりだとか、「隣人を愛せよ」のとおり優しい側面も持っていますよね。えっこんなに優しい人がこんな残酷なことするの?っていう風に感じてしまうかもしれません。だけど、キリスト教の人からするとある意味これは普通のことです。なぜならば、啓典には「隣人を愛せよ」とも「異教徒を殺戮せよ」とも書いているからです。(ジェノサイドについてはヨシュア記に描かれているが、日本人向けのキリスト教ではあまり語られないらしい)

なんとなく(僕たちにとっての)いい人は(僕たちにとっての)いいことばっかりしてくれそうですが、そもそも「いいこと」の定義が全然違う可能性があることを理解して接したいですね。

労働

労働ということのとらえ方についても、押さえておくべきポイントがありそうです。
キリスト教圏においては、「労働って苦しいこと」ですよね。(もちろん楽しんでる人もいると思いますよ!)アダムとイブがりんごを食べて神様との約束を破ったから、労働と死が課されるはめになった、という話です。一方で日本では、最高神である天照大神は機織りをしているし、天皇陛下自らが田植えをされているということがあるなど、労働というのは尊いものである、という感覚が根強いです。「こつこつ頑張ることが美徳」とされている風潮にも通じるところがありそうですね。この辺りも、海外の人と感じ方が違う部分かもしれません。

反省

”慈悲深い”っていう感覚って、僕たちには違和感ないですけど、世界的には宗教は珍しいようです。というのも、ユダヤ教ヤハウェは罪を許さないし、キリスト教は信仰さえすればそもそも行動の善悪を問わないスタンス。同じように、「反省してるし許してあげようや」っていう感覚ってなんとなく普通な気がします、世の中的には人を殺したら死刑だし、むしろ感覚的にはマジョリティかもしませんね。ただし、イスラム教はこの点実は珍しくて、「罪を犯した人もアッラーはその権限で許しうる」という風な教義になっています。”慈悲深いアッラー”というような表現もされますよね。

各種宗教の紹介

キリスト教

何をするかではない、何を信じるか、それだけが重要である。これがキリスト教の根幹です。
キリスト教も歴史的には布教のために俗受けする余計な肉付けがされたり、内部で腐敗していたり、というところにルターが宗教改革を起こしたのは有名な出来事ですが、この時のルターの得た結論がまさに、上記のことだったようです。

労働を例にとると、宗教的に重要なのは「労働の成果」ではなくて、「労働の中身」なんですね。どういうことかというと、どんな仕事をしているか?とかどんな人の役に立っているか?ではなくて、これは救済である、と心の底から信じて働いてるのか?が再重要である、ということです。キリスト教で問われるのは内面なんですね。

仏教

一切皆空、これが仏教の根幹です。
仏教では「空」という概念が教えの肝なのですが、これについて詳しくはここでは語りません。本で紹介されていた話を一つ載せますので、理解の一助になれば幸いです。

手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢池
「手を打つ」という行為ひとつとっても、受けて次第でなんとするかこんなにも様々だよ、ということ表現した短歌です。何事も僕たちの「認識」に根差しているわけですね。

ちなみに、日本に伝わる仏教は、本来の仏教の語るところとは全く別の内容になっています。内容は、「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とか言っておけば救われるよ、というものです。(お釈迦さまはそんなことは言っていません)歴史的には、比叡山延暦寺を立てた最澄が日本に仏教を持ち帰った時点でこういった内容になっていたらしいです。最初っからですね。

イスラム

イスラム教は、きっちりしています。
神様を信じるのはまず当然です。当然ですし、「神様を信じる」と一言で言っても、啓典に書かれているありとあらゆる神様の特性を信じて初めて「信じている」とみなされます。またそのうえ、きっちりと宗教的な義務を果たさないといけません。これを勤行といいます。断食は有名ですよね。”イスラム教を信仰する”ためにはなかなか超えるべきハードルが沢山あるんですね。

少し話は逸れますが、聖戦(ジハード)についての考え方は、知っておいた方がよさそうです。そもそもイスラム教では、「死後の楽園」の存在が語られています。楽園に行きたければ教えを守りなさい、と。楽園っていうのはあなたのすべての欲望が常にかなえられますよ、という世界ですね。みんなこれを目指して勤行を続けているわけです。そんな中、聖戦でアッラーのために戦い死んだものは生きたまま楽園に行けるよ、とうたわれています。だから現世の死なんていうのは恐れるに足りないものなので、決死の覚悟で戦うんですね。

(蛇足)因果律と予定説

この本で語られていた宗教の切り口として面白かったところを紹介します。因果律的なのか、予定説的なのか、で切る考え方です。
因果律というと、「原因は結果を招く」という因果の関係ですよね。この概念に沿って設計されている宗教は、仏教、イスラム教、ユダヤ教です。「○○したら救われますよ」という主張ですね。
一方、予定説というのは「全て決まっている」ことです。この概念に沿って設計されている宗教がキリスト教です。キリスト教では、「救うか救わないかはもう神様が全部決めてます」という考え方のようです。(ちなみに天皇制とかも血縁で決まるので分類でいうと予定説ですね)

この話を読んだときに思いましたが、人って全体的に「因果応報」っていうものを期待しますよね。しかもそれが公平だと思っている節があると思います。善行にはいいフィードバックを望むし、悪行には悪いフィードバックを望みますよね。なんとなく当たり前に思っていますけどちょっと不思議です。
その背景を想像すると何かと人間は物事に因果関係を投影しがちなんですよね。よく相関と因果を読み間違えてしまったりもします。進化論的には、「こうなったらこうなる」という関係を見つけることで予測ができるので、生存に有利だったから、そうなっているんでしょうか。
順番でいうと、生きるのに便利な予測機能は物事の因果関係を見つけたがるので、そういう因果の法則に則らない事実を見てしまうと否定的な感覚になってしまう、ということでしょうか。

知的戦闘力を高める独学の技法

今回は、知的戦闘力を高める独学の技法 本の紹介です。 表題のタイトルの本を読みましたが、とても勉強になったので内容の整理と共有を含めて書いてみたいと思います。 

(第一弾の記事で緊張しています)購入のきっかけは、下記のブログに紹介されていたことです。 女性の方のブログで、非常に聡明な印象を受けています。内容が気になった場合は下記も合わせてご参照いただければと思います。 

https://root-of-upward.hatenablog.com/ 


内容をピックすると、 

・知的生産力を上げる目的にフォーカスすると、インプットの戦略や本の読み方は決まる が私にとっては重要な内容でした。

 #独学の技法というタイトルではありますが、必ずしも独学に閉じた議論ではないです。 


どういうことかというと、 世の中には様々な本の読み方本があふれているが、どれも言っていることが違う。なぜかというと、本の読み方は目的によって異なるにもかかわらず、目的を定義しないままに読み方の議論に移ってしまうからだ。が著者の主張であり、同意です。(コンサル出身の方の主張だなと感じました)

そして、知的生産力が高いとはどういうことか?については「意思決定の質が上がる」ということだと。優れた意思決定は優れた行動につながり、優れた行動が優れた結果をもたらす、と。そのうえで重要なことが、ある未知の局面における意思決定のなかで、過去に得られたインプットから適切な示唆や洞察を引っ張ってくることができるか?です。

そのために、インプットは常に下記の加工をしておきたいよね、という議論が続きます。 ①抽象化を目指すべきである②抽象化した公理に普遍性があるかどうか確かめる(本では構造化と呼んでいる)③その内容を引き出せるようにしておく


また、こと“イノベーションを起こす“という目的に立った場合、読書の戦略としては、「テーマ」を主にせよ。と言っています。

何を言っているかというと、たとえば「心理学」というジャンルで読書を始めるよりも、「組織において権力はどのように発生して消滅するか?」といった”テーマ=問い“基準で読書をし、そのためのインプットは歴史でも、政治でも、文学でも、関連のありそうなジャンルから引っ張ってこい!ということです。

このように、ある問い・課題に対するインプットとしてジャンルをクロスオーバーさせるような考え方が、イノベーションを起こすうえでは重要です。 


下記、メモ 

・学習において重要なのは、「いかに情報を遮断するか」である新聞が重宝されていたような時代では何が起こっていたかというと、情報の量がそもそも少なかったために、知的生産性の向上に対してボトルネックが「情報の量」であった。一方現在は情報がオーバーフローしているため、「情報の密度」ともいうものがボトルネックになっている。 


・オートー・フォン・ビスマルクいわく、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」切れ味の悪い自己流の理論をなぎなたのように振り回しては、周りも自分も傷つけている人が少なくありませんが、こういう人は論語のいうように、数少ない知識と狭い範囲の自分の経験にだけ基づいた考え方に凝り固まってしまっているケースが多い 


・成長するとは未来に向けて身を投じた結果得られるものであるそれまで自分が知らなかったロジックで、自分のしたことの意味・価値を説明できるようになることが成長なので、「あらかじめ僕はこのように成長します」と宣言することはできない。 


・読書はつまみ食いではいけない。それをやるには時間が少なすぎるある領域について、一定の知識を得ようと思うと、最低でも5冊程度の入門書と5冊程度の専門書、で計10冊程度は本を読まないといけない。一方で人間が一分間に読める文字数はせいぜい200400文字であり、ビジネス書は1012万字あるので、振り返りも含めて合計6時間は必要。 


・心地よいインプットに用心する心理学者アーヴィング・ジャニオスの研究成果では、「ピッグス湾事件やヴェトナム戦争など、同質性の高い人間が集まると、彼らがいかに優秀でも貧弱な意思決定がなされる」ことがわかっている。同様に、似たような意見や思考に関するインプットにばかり注力している人間は知的生産性を下げかねない。 


・人と会うのは独学のためにとても勉強になる本を一冊丸ごと読むよりも、本を深く理解している人から、いまの自分にとって重要な部分をチョイスして教えてもらった方がはるかに効率がいいし、質問の機会さえ与えられる。吉田松陰は、20代のときに名士を訪れて面会したらしい。 


・インプットは短期的な目線でよいクランボルツの調査からは、成功した人の共通項は「さまざまな出会いや偶然を前向きに楽しめること」だけである。(キャリアは予測できない)今ここで今ここで役に立つ、とか、面白い!といった刹那的な選好に沿ってインプットするのがイノベーションにとっても役に立つ。 


・アイデアの質に最も影響を与えるのはアイデアの量である。ピカソ2万点もの作品を残しているし、アインシュタイン240本の論文を書き、バッハは毎週カンタータを作曲して、エジソン1000件以上の特許を申請した。必ずしも彼らのアウトプットのすべてが傑作であるわけではない。 


・本の読み方 気になったところに、とりあえずアンダーラインをひく②1日後、アンダーラインを中心に読んでやはり面白い、の部分には付箋を貼る③付箋を貼った個所を読んで後々参照しそうな箇所をえり抜いてエバーノートに転記

はじめに

こんばんは
初めての記事ですがここでは、ブログというものを書くに至った経緯について簡単に書きたいです。 

社会人になり、二年半の時間が経過しました。 
問題解決系の教本、本の読み方に関する本、アイデアを出すための本、などをいくつか読んでいた中で、やはり「物を書く」という形でアウトプットする場を設けたいなあと思うようになりました。
 #ゼロ秒思考などはおすすめです
目的は、下記のようなことです。
・知識の定着や実践の宣言 ・表現力の向上
・FBをもらう、人となりを知ってもらう、などコミュニケーションの機会 

過去、色々と本を読んでみたなかで反省したり行動を変えてみたりしました。その中には失敗したもの、成功したもの、効果は感じられたが継続しなかったもの、様々ありますが、ある程度心理的なハードルの少ないものを選択してきたように思います。
今回、内省という枠を超えて、こうして自分の意見を発信する、というチャレンジは私にとっては、なかなかハードルがありました。
具体的にどんなハードルがあったの?というと、実は明確ではないのですが・・、もやもやと、「友人に知られて敬遠されるかも・・」「やっても意味ないかも・・」といった、漠然とした不安が一歩目の邪魔をしていたかなあ、と感じています。

そういうわけですので、もし読んでいただいた方がいれば、温かい目でご指導いただければ嬉しいな、と思っています。 よろしくお願いします。